奈良県立桜井高校野球部!

素晴らしい考えですね!

卒業してどんな人生を歩んでいくのかとても楽しみです!

より

以前とは変わりましたという森島監督は桜井が実践する野球についてこう語る。

以前までは結果がすべてやと思って野球に取り組んでいました。

結果を出してナンボという観点の中、勝つためにいろんなことを我慢しよう、勝つために人間力を鍛えようと。

今は勝つためにではなく、今と先の人生で自分の力で幸せになっていくためには、どういう心構えで野球に取り組めばいいのかと考えてきました。

野球だけをやっていても野球が上手くならないというのは、以前からも感じていたことでしたが、では、その中で何のために野球をやるのかと問い続けてきたときに、普段の生活でやってきたことを野球で確認する。

人間の力はすごいんだ、自分にはこんな力があるというのを野球で感じられたらと思っています。

そのためには、自分に勝つことが大事だと思って取り組んできました

相手を倒すのではなく、心の矢印を自分に向ける。

日常生活や学校生活を大事にして、礼を重んじ、人に対する気遣いの心を持つ。

野球は、あくまで普段の生活を映し出す鏡としてとらえ、実践の場とした。

2年前にも決勝戦を経験し、今回は見事にリベンジを果たした杉山功樹主将はいう。

2年前は何も分からないままでしたが、先輩らの姿勢から伝わってくるものを感じ、同じ場所に戻ってくることができました。

普段通りのことをやろうと思って、なかなかできないんですけど、日常でやって来たことを出そうとみんなで言ってきました。

特に意識してきたのはあいさつや礼。

どのチームよりもきれいにやろうと心掛けてきました。

気遣い、気配り、姿勢しょせん、高校生のレベルですけど、心を一つ前において取り組んできました

桜井の戦いで何よりも驚いたのが精神的なブレを感じなかったことだ。

奈良大付との決勝戦は、2回裏に1点を先制し、4回裏に3点を追加したのだが、5回表にそれまで3安打無失点のエース竹野康平が左手中指のマメをつぶして降板。2番手には公式戦初登板の木下恭仁がマウンドに上がったのだが、守っている選手たちに浮足立った様子が全く見られなかった。

5回表のピンチは1死満塁から二塁ゴロ併殺で切り抜けた。6回以降も、たびたびピンチを迎えたが、エースの負傷降板という緊急事態でも、チーム全体が下を向かず、前を向いた末の勝利だった。

森島監督は言う。

うちのチームには相手を倒す力はありません。しかし、自分と戦う勇気は持っています。だから、今大会はそれに徹しろと言ってきました。それができたと思います

桜井はガッツポーズをしない。ただそれは、指揮官よりガッツポーズをするな騒いではいけないと強制されているわけでもなく、日常生活の積み重ねがそういう行動を起こさせているのだ。普段の日常生活で気配り心配りを貫いていることが、試合での行動すべてに映し出されている。

杉山主将は言う。

相手を陥れてまで試合に勝っても、僕たちは嬉しいとは思わない。相手と相対して戦うのではなく、自分たちのできることをしっかりやって、その中で勝てたらいい。たくさんの方が応援してくれて、その声援が嬉しかったし、相手の奈良大付の応援もすごい声援で盛り上がっていた。この場の空気が高まっていてその中で試合をやれたことが優勝したことよりも僕は嬉しかったです

甲子園にこだわり過ぎて本質を見失っていないか?

昨今の高校野球はあらゆる意味で甲子園の存在が大きくなりすぎている。

甲子園に行くことばかりに主眼が置かれ、多くの学校が教育者としての立場を見失っているように思う。

過熱する選手獲得合戦や試合中でのエラーやるぞと罵倒して相手を陥れようというヤジ、喜びを履き違えたガッツポーズや優勝時のマウンド上での指立てパフォーマンス。

高校野球に携わる多くの人たちが青少年の健全育成に大きな役割を担っていることを忘れている。

森島監督が、高校野球の未来について、こんな話をしていたことがあった。

最近、携帯電話に絡んだ事件が多いですよね。

じゃ、携帯電話が悪いのかといったら、決してそうじゃない。

すごく便利なものでいいものです。

ただ、使い方を間違ったら事件にもなる。

物事には必ず良い悪いが伴っていて、心の持ち方次第でどうにでもなるということだと思うんです。

高校野球に携わる者の心が少しでも良ければ、高校野球界はこれからもっといいものにしていくことができるのではないでしょうか

桜井高の戦力分析をすると、全国レベルでいうとそう上にくるチームではないだろう。

他校を圧するほどの戦力はない。

しかし、戦力差は大きいけれども、彼らの野球が甲子園という大舞台の中で披露されることは一つのメッセージを残してくれるような気がしてならない。

44年の沈黙の歴史を乗り越えたチームが桜井高だったということも、何かの運命に導かれているのではないだろうか。

天理智弁学園郡山の壁を破れなかったのは、それほどこれらの学校が素晴らしかったということだと思います。

そのチームに他の学校が育てていただいて、長年かかって、結果的に桜井がこういう形になっただけやと思います。

私は若いころから奈良県の多くの関係者に育てていただきました。

その恩返しをと、次の世代の子どもたちや奈良県の教育界を少しでも良くできたらと思ってやっています。

おこがましいですけど、これからみんなで、高校野球奈良県の子どもたちの育成に尽力できたらと思っています

優勝監督インタビューで森島監督がそう答えると、立ち見客も出たこの日の観衆は、44年の時を超えて誕生した新星に引き込まれているかのようだった。