野宿のできる季節

野宿のできる季節

この季節になると野宿をしながら旅をしていた時期を思い出す。

若いころ自分には放浪癖みたいなものがあって、こういう時期になると、一人用テントを背負いながら、よく無銭旅行をしたものだ。

実の父親が迎えた新しい母親との折り合いが悪かった自分は、中学校のころから家を飛び出てしまったのだが、自分にとっては家にいるよりも、どこかあてのない場所にいって、その日その日を暮らしたほうが、はるかに安気だったのだ。

高校はとりあえず定時制高校だったので、友人の家を泊まり歩きながら、秋冬はガソリンスタンドや土方などのバイトをして、春夏はあてどのない旅をする。

旅の行く先は、主に山陰だった。

中国山脈から日本海に至る奥深い山々は、春夏になるとそこらへんで野宿することができる。

1人用テントがあれば、どこでもそのまま別荘になると言っていい。

農家に頼めば、米の2−3号くらいはタダ同然で売ってくれるので、(もらうことが多かったが)それを飯盒で炊いて握り飯で食う。

川辺、寺のほとり、ススキの野原、焚火の音を聞きながら寝るということが、こんなにも心落ち着くものかと思ったのはこういう旅を初めてからである。

山陰の人たちはあまり一見の人間を好むことはない。一人旅をしていて、寺のとなりに寝ようものなら、かなり訝しがられたものだが、それでも事情を話すと、何人かの人たちは

「・・そういう事情があるんなら、うちに泊まっていきんさい」

そう言ってくれた。

世話になった農家などでは、一宿一飯の恩義として、野良仕事や巻き割りなどを手伝うのだが、それでも老人の中には説教する人もいて

「・・若いのにそんな世捨て人みたいな生活して・・事情はそんなに聞こうとは思わんけ、うちの子供になりんさい」

とまでいう人がいた。

薄汚れた自分にそんなことを言ってくれる人がいるということは、ほんとうに果報者ではある。

世の中は生きている限り決して一人になれるものではない、そんなごく当たり前のことを思い知ったのもこの時期である。

山陰の奥深い山々を歩いていて一番の思い出は、この地方にしかない神楽をみることである。

豊作を祝い、神に奉納するその舞は、深夜の山々にこだますると一種神韻さを帯びる。

よそものの自分は浮いてしまうので、そんな際は目立たぬよう一番端でそれを見させてもらうのだが、心の底から感動した。

おっさんになってしまった今では、当時のようなことをやる体力も気力も残っていないが、梅雨が去り過ごしやすい季節になると、当時のことがふと思い出される。