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いじめ

http://digital.asahi.com/sp/articles/ASK4N4T86K4NUUPI00D.html?_requesturl=sp/articles/ASK4N4T86K4NUUPI00D.html&rm=594#Continuation

自殺したこの両親、「学校に言わないで」という本人の希望だったのなら、そっとしておいた方が良かったんだろうかな。

両親はとても辛いだろうし、どっちにしても結果は良くならなかったかも知れないから、なんとも言えない部分もあるけど。

ただ、いじめって、なくなりゃベストだけど、これもうなくならないんじゃないかと思ってて、それよりはイジメがあっても救われる道を探せる手助けをしてあげることの方が先なのではないかと考える。

記事に紹介されている京都の事例で、ちょっとでも嫌な思いをしたことがある場合にはイジメ認定しちゃうってのも、良い方法に思えた。

イジメを一般化するというか、特別なことではなくしてしまうことで、イジメられてる方も深刻度が薄らぐかも知れないし、「自分以外にも嫌な思いしてる人がいる」とか、イジメる側も「ああ、こんなことを苦痛に思う人がたくさんいるんだ」とか、様々な事に気付きやすくなるのではないか。

現場でどのように運用されるのか興味深い。

色々考えてるんだな、と。

そんな中、やっぱり、学校側が「イジメはなかった」とトボけるのは信じられない。

勝手に死んだと思ってるの?

イジメも、それにより死んだことも、全てが学校の責任とは思わないけど、しらばっくれるやり方は子どもに不信感や絶望感をもたらしたのではないか。

もしそれが「イジメ」と認定されない事象だったとしても、そんなことが問題なのではなく、子供が苦しんでいることが問題なのだ。

学校だけが全ての責任を負う必要はないけど、学校ができる部分はきちんとやって欲しいかな。

そして、関係ない私達にもできることはあるかも知れない。

何か機会があれば積極的にやりたいと思う。

余談だけど、「学校に行きたくない」という子供に「義務教育だから行かなきゃならないんだから我慢して行きなさい」と諭してた人を知っているが、それは嘘で、「教育を受ける」義務は無いからね。

励ますために方便で言った部分もあるだろうから、そこんとこは否定しないけど。

学校なんて行きたくなければ行かなくていいよ。

行かなかったらヒマをもてあますかも知れない。誰かと話したいこともあるかも知れない。

そんな時は私で良ければ話し相手になるからね。

誰でもいいよ。

音楽のことと植物のことなら少しなら教えてあげられるし。

仕事もあるから、いつでもってわけにはいかないけど。

人生は学校だけじゃない。

私もつまらない人生だけど、そんな中でも楽しいことたくさんあるよ。

仕事なんてくそくらえじゃ。

生き残ってやろう!